『海女はレコードのように。』
(デーリー東北新聞 2019年4月3日掲載)
東京の実家から、MD(ミニディスク)を聞くことのできるステレオを持ってきた。小学生の頃に聞いていた懐かしい曲を聴きながら今、この原稿を書いている。
電気屋さんに売っている新しいステレオは、ほとんどがMDを再生できない。MDを作るメーカーは、ついには「TEAC(ティアック)」1社になったと聞く。デジタル音楽プレイヤーの普及により、音楽をより良い音質で録音でき、持ち運べるようになった。
しかし、私があの頃に聞いていた音楽はこのMDの音質なのだ。あの頃の音楽はMDにある。シングルCDをレンタルショップでいくつも借りて自ら作ったリミックスや、アルバム名が手書きで書かれた父のMDは当時の匂いまで思い出すほどいとおしいものだ。
MDが廃れていくのは時代の流れの中でやむ終えないことと思うが、全て無くなってしまうのは惜しい。カセットやレコードはいまだに愛され続け、存在し続けている。それはやはりノスタルジックの愛好者やレトロな雰囲気を逆に新しく感じる世代が存在しているからか。
どんなに新しい技術がより優れたものを作ろうとも、古きものにしかない良さがある。
私は夏に観光海女としてウニの素潜り漁を観光客に見せるという、なんともアナログな仕事をしている。岩手県久慈市の「北限の海女」は絣半纏(かすりはんてん)と白い短パンという昔ながらのスタイル。
もちろんウエットスーツを着て空気ボンベを付ければよりたくさんのウニを取ることができるし、最近ではウニの養殖技術も上がっていると聞く。漁業として海女より効率的なやり方は今や多数あるためか、全国的にも海女は年々減少している。
しかし、無くなってしまうのはやはり惜しいもの。現代は足のつかない海で泳げない人も多く、素潜り自体できる人が少ない。それゆえ海女は貴重な存在であり、後世に残すべき技術とも言える。
北限の海女の始まりは明治20年ごろ、それまで素潜り漁を行っていた男性が動力船に乗って出稼ぎで漁業を行うようになり、家計を支えるために女性が浜に潜り始めたといわれている。始めは裸に近い格好で、現在のような服装になったのは昭和40年ごろからだそう。現在は私のような「よそ者」でも観光海女をさせてもらえるようになった。
伝統は少しずつ形を変えるが、その歴史や心を語り継ぐためにはそのものが無くなってはいけない。
海女はレコードのように世代を超えて愛され、後世に響くコンテンツとして残ってほしいと願う。
MDを見たことがない世代の若者にも、海女を受け継ぎたい。
そして「これ知ってる?」と後輩海女にMDを見せることをいつかの楽しみとしよう。
著 藤織ジュン
1991年東京都北区生まれ。東京農業大学短期大学部卒。舞台俳優・ナレーターから23歳で久慈市に移住し北限の海女に。地域おこし協力隊の任期を満了し、(同)プロダクション未知カンパニーを起業。お土産品の販売やマルチタレントとしても活動中。
(著作権使用許可申請許諾取得済み 転用禁止)
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