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2020年4月15日水曜日

『子年について』 (デーリー東北新聞 2020年1月15日掲載)

『子年について』
(デーリー東北新聞 2020年1月15日掲載)



新たな年が始まった。
今年は十二支の初めの子年。
新しいスタートという情調がさらに際立つ。

12月の中旬、とある飲食店のマスターと年賀状の話になった。
マスターは「うちは飲食店だからネズミはちょっと縁起が悪い。表にもネズミのイラストが無いものを買った」と言った。

なるほど。
私は観光のPRを行う会社を経営しているため、毎年お世話になった方々に会社から年賀状を送る。飲食関係者もいるので気を付けなければならないと思った。私も表にネズミのイラストが無い年賀状を購入し、裏のデザインは悩んでハリネズミのイラストにした。ハリネズミはモグラの仲間らしい。

ネズミは飲食店以外でも嫌われ者なのか、干支をイメージした商品を販売するさまざまなブランドが、なぜか今年は招き猫のモデルにすることが多い。G-shockの限定腕時計もお年玉切手シートもワコールの干支デザイン下着も今年は招き猫である。ネズミを避けるとて、なぜ強敵である猫を代替にしてしまったのか謎ではあるが、少し干支のネズミがかわいそうになってくる。

ネズミにも縁起があるはずと思い調べてみると、ネズミは子をたくさん産むため子孫繁栄や転じて何事も繁栄し金運がアップすると言われているそうだ。昔話『ネズミの餅つき(おむすびころりん)』ではネズミが地中の穴の中で餅をついており、金や宝石をたくさん持っていた。まさにこれがネズミの縁起イメージそのものなのである。

話は変わるが、餅といえば、東京出身の私は久慈市に移住した四年前に初めて煉りくるみをつけた餅を食べた。こちらではスタンダードな食べ方と聞いて驚いたものだ。甘くてクリーミーな味わいにすぐに虜になり、今年のお正月にもいただいた。

「東京の方では餅はどう食べるの?」と聞かれることも多い。スタンダードなのは醤油と海苔の磯辺餅か、きな粉をまぶしたものだろう。あんこや納豆というのもある。それから大根おろしと醤油と七味で食べる辛み餅が好きな人もいる。辛み餅は北三陸地域ではあまり食べないようで、話すと驚かれる。

大根おろしといえば、ネズミの話に戻るが大根とネズミが一緒に描かれたイラストや置物も縁起物とされるらしい。大黒様の使いとされるネズミは「大黒ネズミ=大根食うネズミ」という語呂合わせから来るのだとか。

イギリスでは、生涯同じパートナーと過ごすネズミにあやかって、結婚式会場などに飾るウエディングマウスというぬいぐるみがあるそうだ。世界的に有名なキャラクターにもネズミをモチーフにしたものが数多くある。

ちなみに北限の海女さんたちが「ウミネズミ」と呼ぶ生き物はアメフラシ(ウミウシの大きい種類)を指す。海女さんたちの中では見た目が嫌いという人が多いが私は可愛いと思っている。

嫌われたり好かれたりのネズミの年だが、さて、どんな一年になるのか。ネズミは「=寝ず身」との語呂合わせから「寝ずに働き財を集める」という意味もある。私としてはそのくらいにお仕事が舞い込むとうれしい。
 

(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)


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2020年4月14日火曜日

『遊ぶところ』 (デーリー東北新聞 2019年10月30日掲載)

『遊ぶところ』
(デーリー東北新聞 2019年10月30日掲載)



「地方は遊ぶところがない」と言う人がいる。

仕事で中高生と話す機会があるとき、度々この言葉を聞く。東京に住んでいた私の、中高生の頃の遊びといえばカラオケか映画館だった。平均的なお小遣いしかなかったので、もちろん映画館には頻繁に行けるわけではない。
ファミリーレストランのドリンクバーでしゃべるだけというのも、遊びだったかも知れない。

久慈市にはカラオケはあるし、映画館は少し遠いかも知れないが、バスや電車を使えば学生でも行ける。ファミリーレストランや喫茶店もある。それを考えると、私の遊びは特に久慈市でできないことではない。

中高生だけでなく、地元の方や出張で都会から来た人、移住者からもこの台詞を聞くことがある。大人になってからは小劇場に通うことが、ある種、私の遊びであった。久慈市には小劇場がない。月に5本ほど芝居を見る生活をしていた私には、この点は非常に残念である。しかし、小劇場に通うことを遊びとしたい人がどれだけ地方にいるかというと、とても少ないと思う(演劇をやっていた身としては悲しいことではあるが)。

20歳を越えれば友人と会うとなると飲み会が多くなる。飲み会も遊びと言うだろうか。居酒屋が遊ぶところと言うのであれば、久慈市にもたくさんある。

つまり『遊ぶところ』というのはあまりに抽象的で、結局は都会の何が欲しいのか分からない。具体的に『遊ぶところ』とは何なのか。小劇場に通っていた私が考えるに、「遊ぶところがない」と言ってしまう人は恐らく無趣味である。地方でも遊びが上手な人はたくさんいる。釣りやBBQ、マラソンやスキーなどを行う人にとっては、都会より都合の良い遊び場もたくさんある。

都会にいた時に好きだったことができない状態だという人は、新しい趣味を作ったら途端に遊べるかも知れない。チェーン店の限定品やSNSで話題のイベントやお店を追い掛けたい人には都会が良いのだろうが、趣味と思えるほどに追い掛け続けなければ、流されるだけで結局は飽きる。

『遊べるところ』という抽象的なイメージはCMやインターネットの情報で刷り込まれたものに他ならないのではないか。そんな風に思えてならない。しかしながら、私も仕事で1、2カ月に1度は東京に行き、流行の物を食べたり買ったりすることが実際好きである。私の母は私よりも断然ミーハーで、東京土産の流行り物を一時間以上並んで買っては私に渡してくる。母にとっては、それが趣味なのかも知れない。私は母と違い、人混みや並ぶことが苦手なのでそこまではしない。要は「たまに行くから良い」と思っている。

さて、最近の私の遊びといえば、10月になって畑で育てた食用ほおずきがたくさん実ったので、家でじっくり煮てジャムを作ったことである。ジャムはうまく固まらずに失敗したのだが、栽培から調理までとても楽しい私の遊びであった。

私も今やこれといった趣味がない人間である。地域の面白さやできることを探してもっと遊べる大人になりたいものだ。


(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)

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