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2020年4月27日月曜日

今年も山ウド販売します♫成長中の山ウド写真upしてみた!

観光のイベントなくて悲しみつつ…
山ウド栽培に精を出す事にした藤織ジュンです♫

リアルあつ森とも言える(笑)

育てているウドの写真見たい!との声をいただいたので載せていきますね!



これが、弊社がお借りしているウド畑で〜〜す!!!!

・・・・・ね。
今まで全然写真をあげてなかったのは全く映えないから!!(笑)

というのも、
うちで育てているウドは土の中でぐんぐん伸びるのです。


この土のこんもりしているのがウド山(と私は呼んでいる!!)
2、3日に一回、あるいは毎日のお世話方法ですが、

ビフォー

このように山ウドの芽が出てきている部分に、


アフター

芽が見えなくなる程度の土をかぶせます。
これだけです★

これだけですが、
ウドの芽を探してちょいと土をかける作業を数日おきにやっているので
手間ひまをかけております・・・。

一度にどっと土をかけると伸びなくなるそうなので、
ちょこちょこやっております。

ビニールをかけるやり方もありますが
より自然に近く育ててより太く香り高くなるようにしております。

昨年とれた山ウド!!


栽培しているウドではありますが
よくある白いウドとは違い、
山に面した畑でこのように育てる事によって

自然で採取したような“風味”と“食感”
えぐみの少ない“味わい” ⇨生でも食べられるほど!
そして自然のウドより長く、食べられるところが多い!!!



今年も通信販売にて販売予定です♫

時期は5月のGW、またはGW空け頃になるかと思います!
(久慈市界隈飲食店さん向けもあり!こちらはお問い合わせください!)

また、この山ウドを使った絶品加工品も今開発中です・・・💗

是非よろしくお願いします!!



藤織ジュン🎶

2020年4月24日金曜日

のだ)塩の魔人やってみたかった。【北三陸ゆーちゅー部】

(のだ)塩の魔人やってみたかった。【北三陸ゆーちゅー部】




ドリームマッチ2020のハライチ岩井さんと渡辺直美さんのコント
『醤油の魔人と塩の魔人』の塩の魔人をやりました。
北三陸の特産品のだ塩活躍バージョンです。

本人は
「どうしてもやってみたかった。各所ごめんなさい」
などと供述しております。

尚、のだ塩サイドからは一切のお金も許可もいただいておりません。
念のため。藤織が個人的にやったことです。

音楽 https://youtu.be/lziX86iHY5Q



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2020年4月23日木曜日

『ファクトフルネス』 (デーリー東北新聞 2020年3月25日掲載)

『ファクトフルネス』
(デーリー東北新聞 2020年3月25日掲載)



 「うんこはく君」というキーホルダーを作った。かわいらしいうんこのイラストに久慈
産琥珀粒をあしらったお土産品だ。

 SNSで公表すると「おもしろい」「欲しい」などの声を多数頂いた。しかし、中には「琥珀とうんこを組み合わせるのはどうか」「琥珀を販売している人がどう思うか」という意見もあった。

実際、琥珀を発掘しアクセサリー等の販売を行っている上山琥珀工芸の上山昭彦さんはこのキャラクターを面白がってくれている。

「うんこはく君」の始まりは久慈商工会議所から声を掛けられた「こはくびと運動」だ。この運動は主に琥珀の作業屑(POPアンバーと呼ぶ)を使って、気軽に持てる琥珀製品を作り、久慈市民はみんな琥珀を持っている未来を作ろうというものだ。

当初、これには「琥珀の高級なイメージを壊さない方が良いのではないか」という意見もあったが、琥珀がより身近なものになれば、郷土愛や歴史文化の伝承につながっていくのではないかと考え、私はこの運動に参加することにした。

久慈産琥珀は9千万年前の樹脂の化石であり、地球の営みや人間の文化、歴史に深く携わってきた。ジオパーク的視点から見ても価値がある。運動に賛同した他の事業者さんたちからはアクセサリーやネームプレートなど、女性向け、男性向けのさまざまな商品がそろった。

そこで私はターゲットを子どもにし、よりキャッチーなものを考えた結果、「うんこはく君」が出来上がったのだ。決して短絡的なウケ狙いではない。事実、「うんこはく君」を通じて琥珀に関心を持つ子が増えることを望んでいるのだ。

余談だが、象糞から紙を作り、生物保全を訴えている環境保護団体もある。うんこをマイナスイメージと決めつけるのはナンセンスだ。

私は最近、『ファクトフルネス』という本を読んでいる。メイン著者のハンス・ロスリング氏は医師であり公衆衛生学者だ。内容はざっくり「事実に基づいて考えよう」というもの。事実とは正しいデータのこと。人間は「ネガティブ本能」や「焦り本能」などによって事実と違った見方をしてしまいがちである。

ネガティブなことはニュースになりやすい。最近のニュースは新型コロナウイルスで持ち切りだが、内容は不安を煽るだけのようだ。噓情報による買い占めが起こり、生活必需品の品切れや転売が相次ぐというニュースへの不安からまた買い占めが起こる。一方、顧客が減った物は安売りされ、コロナショックによるデフレーションも始まっているようだ。まさにパニック状態であると思う。

実際、新型コロナウイルスの致死率はどのくらいなのか。感染者の出ていない地域の地元イベントまで中止する意味があるのか、経済不況により亡くなる人が出るのではないか。しっかりとしたデータと計算に基づいて考えることが大切だ。

ところで琥珀はパワーストーンでもあり幸運が舞い込むのだとか。うんこはく君は「運琥珀」というもじりでもある。

琥珀を持って幸運になったというデータは無いが、そこは「信じるものは救われる」ということで……。
 
(藤織ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)

※掲載許可取得済み 無断転用禁止

2020年4月20日月曜日

『移ろい、家族』 (デーリー東北新聞 2020年2月19日掲載)

『移ろい、家族』
(デーリー東北新聞 2020年2月19日掲載)



先日、家族が増えた。新しい家族は犬で、犬種はコーギー。
生まれて3カ月ほどのまだ赤ちゃんだ。

夫の実家の犬が昨年他界し、生まれた時からずっと犬と暮らしていた夫は、ある日私に犬が欲しくなったと言った。命を買うことに抵抗があった私は、そもそも犬を飼ったことがないこともあり、戸惑っていた。しかし私がはっきり了承する前に犬が家にやってきた。

旦那はいつもそうだ。自分が決めたことは結局誰の反対も聞かない。結婚の時もなんだか押し切られてしまったように思う。私はあまり結婚したことを今日まで公にしていなかった。何故なら、私が結婚を理由に東京から久慈市に移住したと思われたくないからだ。
私は自分の意思で此処に住むと決めたのだ。

確かに、夫の収入があるから観光海女や北三陸のPRといった不安定な仕事に挑戦していけるというのはあるが、銀行口座も財布も一緒にせずに今はなんとか生活できている。当時、彼だった旦那は、いつの間にか私の部屋に住み着き、私が2人で住むアパートをまだ先の夢のように調べ始めた頃、迷いなく契約してしまった。プロポーズらしいものもなく、いつの間にか結婚することになっていた。

そうして一緒になってもうすぐ2年がたつ。とはいえ、一緒の生活は悪くない。変わり者同士、うまくやれていると思う。結婚すればすぐ子どもがどうだと言う大人がたくさんいて嫌になるが、そもそも望むか望まないかはプライベートであり、望んだとしてポンとできる訳ではないのだから、軽く言わないでほしい。

私は『家族』というものは遷移的で不思議な流れの中にあるように思う。自分で選択することもあるが、流れ着くようにそうなっていることの方が多い。
私は生まれる前に母や父を決めた訳ではない。生まれた時、色白で目の大きい女性を母と言われ、色黒の顔の怖い男を父と言われ、天然パーマのやかましい女の子は姉と教わった。そのうち、自分にそっくりな顔をした弟ができた。誰一人として私が望んだメンバーではなかったが、悪くはなかった。それはとても幸運なことだった。

今、私は実家を出て、他人だった人と夫婦になり、犬を飼った。2人と1匹の生活。正直
最初は怖かったが、家に迎え入れてしまえば愛着が湧くものだ。これが欲目というものか
。寝ている時がとてもかわいい。

昼間は暴れて噛み付くから少々困る。本によると、乳歯がかゆいのだそうだ。犬にも乳歯と永久歯があることを初めて知った。こんな風に犬が私に教えてくれることが、これからもさまざまあるのだろう。

そして、今月末には実の姉が結婚式をする。私より年下の義兄さんはPCゲームが得意だ。もちろん、私が決めた相手ではないが、悪くはないと思っている。いつか、夫婦で犬に会いに来てほしいな。その時までに噛みつかないようにしつけなくては。変わり続ける家族という関係が、これからも良い方向に流れ着いていきますように。

(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)

2020年4月15日水曜日

『子年について』 (デーリー東北新聞 2020年1月15日掲載)

『子年について』
(デーリー東北新聞 2020年1月15日掲載)



新たな年が始まった。
今年は十二支の初めの子年。
新しいスタートという情調がさらに際立つ。

12月の中旬、とある飲食店のマスターと年賀状の話になった。
マスターは「うちは飲食店だからネズミはちょっと縁起が悪い。表にもネズミのイラストが無いものを買った」と言った。

なるほど。
私は観光のPRを行う会社を経営しているため、毎年お世話になった方々に会社から年賀状を送る。飲食関係者もいるので気を付けなければならないと思った。私も表にネズミのイラストが無い年賀状を購入し、裏のデザインは悩んでハリネズミのイラストにした。ハリネズミはモグラの仲間らしい。

ネズミは飲食店以外でも嫌われ者なのか、干支をイメージした商品を販売するさまざまなブランドが、なぜか今年は招き猫のモデルにすることが多い。G-shockの限定腕時計もお年玉切手シートもワコールの干支デザイン下着も今年は招き猫である。ネズミを避けるとて、なぜ強敵である猫を代替にしてしまったのか謎ではあるが、少し干支のネズミがかわいそうになってくる。

ネズミにも縁起があるはずと思い調べてみると、ネズミは子をたくさん産むため子孫繁栄や転じて何事も繁栄し金運がアップすると言われているそうだ。昔話『ネズミの餅つき(おむすびころりん)』ではネズミが地中の穴の中で餅をついており、金や宝石をたくさん持っていた。まさにこれがネズミの縁起イメージそのものなのである。

話は変わるが、餅といえば、東京出身の私は久慈市に移住した四年前に初めて煉りくるみをつけた餅を食べた。こちらではスタンダードな食べ方と聞いて驚いたものだ。甘くてクリーミーな味わいにすぐに虜になり、今年のお正月にもいただいた。

「東京の方では餅はどう食べるの?」と聞かれることも多い。スタンダードなのは醤油と海苔の磯辺餅か、きな粉をまぶしたものだろう。あんこや納豆というのもある。それから大根おろしと醤油と七味で食べる辛み餅が好きな人もいる。辛み餅は北三陸地域ではあまり食べないようで、話すと驚かれる。

大根おろしといえば、ネズミの話に戻るが大根とネズミが一緒に描かれたイラストや置物も縁起物とされるらしい。大黒様の使いとされるネズミは「大黒ネズミ=大根食うネズミ」という語呂合わせから来るのだとか。

イギリスでは、生涯同じパートナーと過ごすネズミにあやかって、結婚式会場などに飾るウエディングマウスというぬいぐるみがあるそうだ。世界的に有名なキャラクターにもネズミをモチーフにしたものが数多くある。

ちなみに北限の海女さんたちが「ウミネズミ」と呼ぶ生き物はアメフラシ(ウミウシの大きい種類)を指す。海女さんたちの中では見た目が嫌いという人が多いが私は可愛いと思っている。

嫌われたり好かれたりのネズミの年だが、さて、どんな一年になるのか。ネズミは「=寝ず身」との語呂合わせから「寝ずに働き財を集める」という意味もある。私としてはそのくらいにお仕事が舞い込むとうれしい。
 

(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)


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2020年4月14日火曜日

『遊ぶところ』 (デーリー東北新聞 2019年10月30日掲載)

『遊ぶところ』
(デーリー東北新聞 2019年10月30日掲載)



「地方は遊ぶところがない」と言う人がいる。

仕事で中高生と話す機会があるとき、度々この言葉を聞く。東京に住んでいた私の、中高生の頃の遊びといえばカラオケか映画館だった。平均的なお小遣いしかなかったので、もちろん映画館には頻繁に行けるわけではない。
ファミリーレストランのドリンクバーでしゃべるだけというのも、遊びだったかも知れない。

久慈市にはカラオケはあるし、映画館は少し遠いかも知れないが、バスや電車を使えば学生でも行ける。ファミリーレストランや喫茶店もある。それを考えると、私の遊びは特に久慈市でできないことではない。

中高生だけでなく、地元の方や出張で都会から来た人、移住者からもこの台詞を聞くことがある。大人になってからは小劇場に通うことが、ある種、私の遊びであった。久慈市には小劇場がない。月に5本ほど芝居を見る生活をしていた私には、この点は非常に残念である。しかし、小劇場に通うことを遊びとしたい人がどれだけ地方にいるかというと、とても少ないと思う(演劇をやっていた身としては悲しいことではあるが)。

20歳を越えれば友人と会うとなると飲み会が多くなる。飲み会も遊びと言うだろうか。居酒屋が遊ぶところと言うのであれば、久慈市にもたくさんある。

つまり『遊ぶところ』というのはあまりに抽象的で、結局は都会の何が欲しいのか分からない。具体的に『遊ぶところ』とは何なのか。小劇場に通っていた私が考えるに、「遊ぶところがない」と言ってしまう人は恐らく無趣味である。地方でも遊びが上手な人はたくさんいる。釣りやBBQ、マラソンやスキーなどを行う人にとっては、都会より都合の良い遊び場もたくさんある。

都会にいた時に好きだったことができない状態だという人は、新しい趣味を作ったら途端に遊べるかも知れない。チェーン店の限定品やSNSで話題のイベントやお店を追い掛けたい人には都会が良いのだろうが、趣味と思えるほどに追い掛け続けなければ、流されるだけで結局は飽きる。

『遊べるところ』という抽象的なイメージはCMやインターネットの情報で刷り込まれたものに他ならないのではないか。そんな風に思えてならない。しかしながら、私も仕事で1、2カ月に1度は東京に行き、流行の物を食べたり買ったりすることが実際好きである。私の母は私よりも断然ミーハーで、東京土産の流行り物を一時間以上並んで買っては私に渡してくる。母にとっては、それが趣味なのかも知れない。私は母と違い、人混みや並ぶことが苦手なのでそこまではしない。要は「たまに行くから良い」と思っている。

さて、最近の私の遊びといえば、10月になって畑で育てた食用ほおずきがたくさん実ったので、家でじっくり煮てジャムを作ったことである。ジャムはうまく固まらずに失敗したのだが、栽培から調理までとても楽しい私の遊びであった。

私も今やこれといった趣味がない人間である。地域の面白さやできることを探してもっと遊べる大人になりたいものだ。


(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)

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もぐらんぴあの癒し動画・水族館の生き物【北三陸ゆーちゅー部】

癒し動画・水族館の生き物【北三陸ゆーちゅー部】



岩手県久慈市にある、地下水族科学館もぐらんぴあの生き物たちの映像です。
心がトゲトゲしやすいこのご時世に、癒されてください。

寝る前やbgmのようにお使いいただいたり
じっくり水族館を見学する気持ちでおたのしみください。

もぐらんぴあにはまだまだ魅力的な生き物がおりますので
落ち着いたら遊びに来てね。

🌈チャンネル登録よろしくお願いします!!🌈



地下水族科学館もぐらんぴあ
http://www.moguranpia.com

2020年4月13日月曜日

『この街と』 (デーリー東北新聞 2019年9月25日掲載)

『この街と』
(デーリー東北新聞 2019年9月25日掲載)



前回、B-1グランプリに出展するため、地域おこし団体の久慈まめぶ部屋がクラウドファンディングをしていることを書かせていただいた。おかげさまで目標金額を達成し、募集終了となった。ご協力いただいた方には本当に感謝している。

今年のB-1グランプリは11月に兵庫県明石市で開催される。先日、愛Bリーグフォーラムin明石に参加し、明石市長の泉房穂氏の公演を聞いてきた。明石市は神戸市や姫路市といった有名な市に囲まれており、昔は少々影に隠れた存在だったそうだ。

それが2013年から6年連続人口増加、市の税収入も増え続けている。市民アンケートでは「明石市が好き」と答えた人の割合が9割を超えたという。確かにフォーラムの前後日、明石の駅前や飲食店は家族連れやカップルなどでにぎわっていた。

明石市を訪れたのは休日だったので、もちろん観光客もいたかとは思うが、名物「玉子焼(明石焼き)」を提供するお店では関西弁が飛び交っていたので、地元の人も多かったのだろう。市民の豊かさを感じた。

 明石市が元気な理由として、Bー1グランプリのおかげでもあると明石市長は言う。子供からお年寄り、障害のある人もない人も一緒にイベントボランティアを行える仕組みを作るなど、あかし玉子焼で町おこし・まちづくりを市民一丸となって取り組んできた結果、2016年12月に行われたB-1グランプリスペシャルin東京・臨海副都心で明石市はゴールドグランプリ(投票1位)に選ばれた。

明石市長自らタコの帽子と明石玉子焼の大きな模型を背負い、ブース前でマイクパフォーマンスを披露する姿が反響を呼んだ。

B-1グランプリは時にB級グルメのイベントと誤解されがちだが、B-1のBはブランドという意味を持ち、「ご当地グルメでまちおこしの祭典!」をうたっている。地元で愛される料理を提供し、まちのPRを行うことが目的だ。お客さんはもちろんグルメを楽しみに来るが、各出展団体のブースやステージパフォーマンスを見てさまざまな地域の魅力に触れることとなる。

さて、フォーラム後、B-1グランプリに出展する愛Bリーグ団体との懇親会は大いに盛り上がった。各地のお酒をいただきながら、それぞれの地域の話やご当地グルメの話、地域おこしの悩みなど話題は尽きない。自分の地域を愛する人たちだが、決して他の地域を否定することなく、比べて優位に立とうとすることもない。お互いに励まし合って切磋琢磨しているのだ。

郷土愛を持つ方たちと、こうした交流ができることを私は素敵だなと感じる。自分の住んでいる地域に自信を持つことは、他の地域を敵だと思うことではないのだ。TVのニュースを見ていると、この空気が世界中に広まればいいなと思う昨今である。国もまちも同じだろうと思うのだ。

11月のB-1グランプリin明石では、明石市のまちづくりを学びつつ、久慈市のPRを頑張り、そして地域を愛することの楽しさを少しでもお客さんに伝えられたらいいなと思う。

(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)

※掲載許可取得済み 無断転用禁止

2020年4月10日金曜日

『アイドルと久慈まめぶ部屋』 (デーリー東北新聞 2019年8月21日掲載)

『アイドルと久慈まめぶ部屋』
(デーリー東北新聞 2019年8月21日掲載)



 アイドルを応援していた時期が何度かある。私の場合、メディア露出が多い人気者ではなく、ライブアイドルと呼ばれるような、荒削りで売れたい気持ちが強く、なりふり構わ
ない姿のグループを好きになる傾向にある。

そういったアイドルの魅力は、社会の中でもがいている憤りを持った自分と重ねて応援できるところだろうか。ライブで拳を突き上げる時、大声で歌う時、ストレスから解放され、明日を生きる元気をもらえる。「あなたが頑張っているから、私も頑張れる」という同調だ。歌やダンスだけで言えば、一流のパフォーマンスを見る方が感動は大きい。しかしそこに、「応援したい」という気持ちは湧かない。同調できる余地がなく、「頑張れ」というのもおこがましく感じるからだ。

同様に応援していたアイドルに人気が出ると気持ちが冷めてしまうというのはよく聞く話であり、事実私もその一人だ。人気が出ると曲調や歌詞の感じが大衆向けに変わったり、一部から反感を買いそうな思い切ったパフォーマンスがなくなってしまうこともよくある。それにより好きと感じなくなるのもあるが、何より自分は抜け出せていないわだかまりや報われない気持ちを抱えているままであるため、先に認められたアイドルに置いていかれてしまったような空虚感さえ持つ。

もちろんそこまで頑張ってきたアイドルには敬意を持つのだが、シンパシーは感じられなくなるのだ。私はいつもそこでファンを辞めてしまう。そして、テレビに映るかつて応援していたアイドルを見ては「ああ、売れたな。凄いな」などとどこか一線を引いて見ている。

「売れてから応援できないのは本物のファンじゃない」などと言われることもあるが、仕方がない。アンチ活動などは絶対にしないので許してほしいところだ(誰かに許してもらう必要もないが)。

最近はアイドルを追いかけていないのだが、私の応援したい人のスタンスは変わってい
ない。今頑張っていて、まだ大きく認められていなくて、もがいている人。北三陸はそう
いう人の宝庫である。仕事柄、さまざまな人の挑戦を見てきた。
B-1グランプリin明石に出展する久慈まめぶ 部屋も応援したくなる要素が詰まっている団体の一つである。

朝ドラ「あまちゃん」よろしく、派手さの無いまめぶ汁を片手に久慈市を全国に広めようと頑張っているのだ。お肉や揚げ物、ご当地焼きそばがひしめく会場で、くるみと黒糖入りの小麦団子(まめぶ )が入った野菜たっぷりの汁物を提供する。目立たないが個性はある。さらには一途に郷土料理で勝負する心意気も良い。

しかし今、兵庫県明石市までのスタッフの旅費や材料運搬費などが足りない危機に面している。そこでクラウドファンディングを行ない寄付を集めることにした。このクラウドファンディングは私が担当している。これがなかなか厳しい状況だ。是非とも「久慈まめぶ 部屋 CAMPFIRE」を検索してみてほしい。

私はアイドルでは無いが、共感してくれる方がいたらいいなと思う。私も今、もがいて頑張っているから。

(ふじおり・ジュン=北三陸観光大使、久慈市在住)


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2020年4月6日月曜日

『多様な生き方』(デーリー東北新聞 2019年7月17日掲載)

『多様な生き方』(デーリー東北新聞 2019年7月17日掲載)



 「この地域に一生住む覚悟ですか?」。私のように地方移住をした人がよく聞か
れる質問である。これにいつもモヤモヤさせられている。

特に別の地域に住む予定も東京に帰るつもりもないし、50歳過ぎても観光海女をやりたいという望みはある。しかし舞台芝居を続けていたらいきなり海女に転身することとなったように、周りの状況や考え方は日々変わっていくと思う。

臨機応変に自分のその時のベストな生き方をしていきたい私は自分の可能性を決め付けた
くない。なので「分かりません。でも今はここに住んでいます」と答えることにしてる。

そもそも、誰もが地域に自分を縛らなくていいはずである。『居住移転の自由』は憲法に定められている。地元暮らしが長いお年寄りも、そこに暮らし続けなければならないわけではないのだ。不便を感じたら交通手段や病院などが多い都会に住んだっていい。

とはいえ、仕事や家族、家などさまざまな事情があり、おのずと「この地域で暮らさなければならない」という状態に陥るのだろう。出張の多い仕事や学業、結婚のため、あるいは若者が都会へ出て行く他は、居住地を移す人が少ないのが現状だ。

地方移住をした私としては、「もっと自由に住む場所を選ぶことができたらいいのに」と思う。令和は『個人の時代』とも称されるように多様な生き方ができるようになった。都会には『アドレスホッパー』と言われる人たちがいる。特定の場所に住まず、ゲストハウスや友人宅など日替わりの場所に帰る人たちのことだ。

アドレスホッパーの人も仕事があるため、ほとんどの人が所属する会社のある都会で生
活している。中にはフリーランスでウェブ関係の仕事などをしている人もいる。そういう生き方なら、地方でもできるかもしれない。地方のゲストハウスなど安い宿泊施設はもってこいだ。フリータータイプの方であれば住み込みの旅館バイトなどもいいだろう。

YouTuberは今やポピュラーになったが、動画の生配信アプリを使って稼ぐ人や、SNSを使ってキャラクターを売ったり、中には人におごられることを生業とする人も現れた。こうした新しい働き方は必ずしも都会でなければできない生き方ではない。むしろ、地方の方が差別化できて有利なことだってある。多様化した現代では、もう居住地のあり方も働き方も今までの常識とは変わってくるだろう。

その中で東京一極集中とならないように地方が対抗するとすれば、居住地の移動をもっと自由にできる社会を目指すというのはどうだろうか。地方移住をしても一生住む覚悟までしなくてもいいし、地元を出て都会に行く人も同じだ。地元に戻ってきてもいいし、また違う地域に住んでもいい。居住地を選ぶ自由がもっと自然になればいい。日本中、いや世界中を旅するインフルエンサーも今からもっと生まれるだろう。

 新しい仕事や住まい方について改めて未来を想像してみよう。北三陸の特徴を生
かした生き方を考えている私は結局、未来も北三陸にいるようだ。


(著作権使用許可申請許諾取得済み 転用禁止)

2020年4月3日金曜日

『三陸鉄道になら、乗りたい』(デーリー東北新聞社 2019年6月12日掲載)

『三陸鉄道になら、乗りたい』
(デーリー東北新聞社 2019年6月12日掲載)



東京に住んでいた頃、電車といえば苦痛な乗り物であった。
短大生の頃は混雑した電車に1時間以上揺られて通学しなければならず、学校に着く頃にはクタクタになっていた。

満員電車に乗っている間の人の熱や身動きが取れない状況が好きな人はまずいないとは思うが、私は人の流れに乗ってエスカレーターに乗ることも、ホームで電車を待つ風が吹き抜ける空間も、全てが体に合わなかった。

久慈市に引っ越し、自動車免許を取り、車を持った。運転は少々苦手だが、行きたい場所に自分の時間で行動できるのは実に快適だ。しかし、私は宮古方面に行く際にはなるべく三陸鉄道を使う。自動車で行く方が速く、かかるお金も安いのだが、時間が許せば三陸鉄道に乗る。乗りたいのだ。

三陸鉄道は海沿いをゆっくり走り、景色の良いスポットでは一時停止して運転士さんが解説してくれる。お弁当も食べられるし、トイレもある。本を読んだり、うたた寝をしながら移動できる。

ある日、野田村で飲み会をすることになり、陸中野田駅まで三陸鉄道に乗った。ちょうど部活終わりの高校生たちが乗車する時間だった。列車内は空いていた。高校生たちは仲間たちとボックス席に座り、お菓子を食べたり、談笑したりしている。イヤホンで音楽を聴きながら椅子に横になって眠る子もいた。

東京ならまずあり得ない光景だ。案の定、先日SNSで電車のボックス席に座る若い女性が前の席に足や荷物を乗せている画像が拡散されていた。付随して、電車内でお菓子を食べる親子の画像も出回っていた。混雑した電車ではマナーが悪い。確かにそうだ。だが私はその時、列車内で眠る高校生を見て「疲れているのだろう」と思ってほほ笑ましかった。お菓子を食べて笑う高校生に青春を感じた。

場所が違えばマナーは異なる。それらが悪いこととされるのは一説として、人が多いことのせいではないかと思う。マナーは時々、心の窮屈を生む。

また別の日、三陸鉄道で宮古まで向かおうとしたが、家を出るのが遅くなり、私は駅まで走った。心の中では間に合わなかったら家に戻って車で行くことも考えた。

駅に着くと、ギリギリ列車は発車していなかった。駅のお姉さんに「お金は着いたら払って。今すぐ乗って。運転手に連絡するから」と言われ、階段を駆け上がりギリギリ乗車した。間に合った。いや、本来なら間に合っていない。少し待ってくれたんだと思う。こんなこと、東京ではしてくれないだろう。

「駆け込み乗車は危険です」。それが終電でも、目の前で非情にも行ってしまう。ギリギリの乗車になったことは反省しつつ、大らかな対応をしてくれる三陸鉄道がまた好きになった。

久慈駅から大船渡の盛駅まで直通列車になった三陸鉄道。一度は始発から終点まで乗ってみたい。列車では何をしようか。カメラを持って景色を楽しむのもいい。お菓子を食べながらモノポリーをするのも面白そうだ。目的地に行くことより、列車に乗ることを楽しみにするなんて、久慈市に移住しなければ無かっただろう。

(著作権使用許可申請許諾取得済み 転用禁止)

2020年4月2日木曜日

『日本の闘牛』(デーリー東北新聞 2019年5月8日掲載)

『日本の闘牛』(デーリー東北新聞 2019年5月8日掲載)



皆さんは日本の「闘牛」を見たことがあるだろうか。岩手県久慈市山形町では東北地方
で唯一、闘牛大会が開かれている。平庭高原を会場とした平庭闘牛大会は年に3回、5月
に行われる練習会「わかば場所」を含めると年4回行われていることになる。

「闘牛」というと怖いイメージを持っている人もいるかもしれない。私も以前は、スペ
インで行われているような、闘牛士が赤い布を振り回して牛を翻弄し、最後に牛の背中を
剣で刺すものを想像した。しかし、日本で開催されている闘牛は全く違う。まず、欧米諸
国のように人対牛ではなく、牛同士が闘う。日本の闘牛は「牛の角突き」とも呼ばれてお
り、牛同士の相撲のようなものだ。大関や横綱といった階級もあり、技にも名前が付いて
いる。牛が命を落とすことはなく、概ねどちらかの牛が背を向けて逃げれば勝敗が決まる


また、久慈市や新潟県の小千谷市、長岡市山古志などで行われている大会では、勝ち負
けをつけない。大きな理由としては負け癖をつけないようにするためなのだそうだ。負け
てしまうと牛のプライドが傷つき、戦意を喪失してしまいかねないのだ。平庭闘牛の場合
は加えて若い牛同士の取り組みであることにも配慮されている。良い闘牛が育つと全国の
闘牛開催地に売られていく。久慈市は闘牛の産地としての役割も担っているそうだ。

日本の闘牛では勢子(せこ)という役割の人が牛を上手く誘導し、牛同士の角を突き合わせ、闘いが終わると引き離す。牛の動きを読み、鮮やかに操る勢子さんの姿も闘牛の魅力の一つである。牛には元々闘争本能があるためか、闘う牛たちはとても生き生きとして見える。

牛は自分の力を誇示するために闘い、相手を殺すようなことはしないそうだ。横綱と呼
ばれる牛は1トンを超えるほどの大きさだ。闘牛場に入ってくるなり跳ねまわり、大きな
鼻息と鳴き声を出す様子は恐ろしくもあり、これが生き物本来の姿なのだと思わされる。
角を突き合わせる音や、押して押されての攻防は迫力があり息を飲むほどだ。

平庭闘牛ではまだ闘牛を始めて間もない、わずか400キロほどの3歳以下の牛同士の取り組みもある。勢子さんに誘導され、角を突き合わせるがちっとも押し合わなかったり、闘牛場をキョロキョロと見回したりする。ついには、お互いにじゃれ合うなどして観客から思わぬ笑いをもらう。

動物を扱う文化は、時に「残酷である」などと動物愛護の観点からさまざまな意見も出て
くるが、平庭闘牛大会は若い牛のかわいらしい姿、大きな牛の野性味ある荒々しい姿を見
て生き物の命を感じることができる、素晴らしい機会だと思っている。

私は牛肉を食べるが、命を頂いているという事を決して忘れてはならないと考えている。お肉になった牛しか見たことがないと生き物への敬意を忘れてしまうと思う。
牛は可愛らしい目をしていて、とても力強い。
その素晴らしい命を頂いて自分の糧とする。

山形町の短角牛を食べて、明日も頑張ろう。
そしてまた闘牛大会を見に行こう。



(著作権使用許可申請許諾取得済み 転用禁止)

2020年4月1日水曜日

『海女はレコードのように。』 (デーリー東北新聞 2019年4月3日掲載)

『海女はレコードのように。』
(デーリー東北新聞 2019年4月3日掲載)



東京の実家から、MD(ミニディスク)を聞くことのできるステレオを持ってきた。小学生の頃に聞いていた懐かしい曲を聴きながら今、この原稿を書いている。

電気屋さんに売っている新しいステレオは、ほとんどがMDを再生できない。MDを作るメーカーは、ついには「TEAC(ティアック)」1社になったと聞く。デジタル音楽プレイヤーの普及により、音楽をより良い音質で録音でき、持ち運べるようになった。
 
しかし、私があの頃に聞いていた音楽はこのMDの音質なのだ。あの頃の音楽はMDにある。シングルCDをレンタルショップでいくつも借りて自ら作ったリミックスや、アルバム名が手書きで書かれた父のMDは当時の匂いまで思い出すほどいとおしいものだ。
 
MDが廃れていくのは時代の流れの中でやむ終えないことと思うが、全て無くなってしまうのは惜しい。カセットやレコードはいまだに愛され続け、存在し続けている。それはやはりノスタルジックの愛好者やレトロな雰囲気を逆に新しく感じる世代が存在しているからか。
どんなに新しい技術がより優れたものを作ろうとも、古きものにしかない良さがある。

私は夏に観光海女としてウニの素潜り漁を観光客に見せるという、なんともアナログな仕事をしている。岩手県久慈市の「北限の海女」は絣半纏(かすりはんてん)と白い短パンという昔ながらのスタイル。

もちろんウエットスーツを着て空気ボンベを付ければよりたくさんのウニを取ることができるし、最近ではウニの養殖技術も上がっていると聞く。漁業として海女より効率的なやり方は今や多数あるためか、全国的にも海女は年々減少している。

しかし、無くなってしまうのはやはり惜しいもの。現代は足のつかない海で泳げない人も多く、素潜り自体できる人が少ない。それゆえ海女は貴重な存在であり、後世に残すべき技術とも言える。

北限の海女の始まりは明治20年ごろ、それまで素潜り漁を行っていた男性が動力船に乗って出稼ぎで漁業を行うようになり、家計を支えるために女性が浜に潜り始めたといわれている。始めは裸に近い格好で、現在のような服装になったのは昭和40年ごろからだそう。現在は私のような「よそ者」でも観光海女をさせてもらえるようになった。

伝統は少しずつ形を変えるが、その歴史や心を語り継ぐためにはそのものが無くなってはいけない。
海女はレコードのように世代を超えて愛され、後世に響くコンテンツとして残ってほしいと願う。

MDを見たことがない世代の若者にも、海女を受け継ぎたい。
そして「これ知ってる?」と後輩海女にMDを見せることをいつかの楽しみとしよう。


著 藤織ジュン
1991年東京都北区生まれ。東京農業大学短期大学部卒。舞台俳優・ナレーターから23歳で久慈市に移住し北限の海女に。地域おこし協力隊の任期を満了し、(同)プロダクション未知カンパニーを起業。お土産品の販売やマルチタレントとしても活動中。


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